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2006年01月27日
ニュースの見方3
ライブドア事件に関し、勉強不足のまま、コメントをブログに載せてしまって
反省している。
ライブドア事件に関する報道内容が、堀江氏に対する社会的制裁の様相
を呈してきたので、深く考えるヒントを分かち合うために
「ライブドア取引のどこが違法なのかがわからない」という内容の文章を、
ブログに掲載してしまった(1月26日アップ、27日削除)。
アップしたあとでも、しっくりしない気持ちをかかえて、なんども文章を
直していたのであるが、その後、情報収集するにしたがって私の意見は
大きく変わったので、改めて私の見解をまとめてみたい。
新聞報道で問題とされる個別取引 ― 広告費の支払いや、
会社評価額の判断など ― を断片的にみれば、必ずしも犯罪と断定
できないという印象があった。しかし、その取引を行った目的が報道の
とおり ― 株価を意図的に上げて、自社株式を高値で売り抜けること ―
だとすれば、明らかに証券取引法の趣旨から逸脱する犯罪である。
金融庁が「違法スレスレだが違法ではない」といっていた見解自体にも問題
を含んでいたようである。
また私は、「風説の流布」が、緊急逮捕に踏み切るほど重大犯罪なのかとの
疑問も持った。しかし、この点についても ― 証券取引法の歴史的背景を
理解すると ― 私の疑問は、事件を軽視しかねないものであったと反省している。
私は法律の専門家ではないので、いま書いているこのブログの文章も、
のちのち修正するかもしれないが、それはお許しいただいて、
私がどのような思考の経緯をたどったかだけでも、とりいそぎ記しておきたい。
早稲田大学の上村達男教授(商法・証券取引法専門)が1月26日付日本経済新聞
に書かれたことを、私なりに要約すれば ― 相場操縦がされてしまう場合、
それは単に市場の混乱だけではなく、広範囲の失業や産業の混乱を
引き起こすことがある。さらにその矛盾を海外で解決しようとすれば、
植民地戦争すら引き起こす危険性があるという。
つまり歴史上、相場操縦によって安易なバブルが生成され、その崩壊に
伴って無数の不幸を引き起こされたという非常事態があったからこそ、
米国で証券法が成立したという背景がある。日本においては、この趣旨が
じゅうぶん浸透していないにも関わらず、市場規制の大幅緩和をしてしまったために、
「法律ギリギリだが、法律違反ではない」という表面的な法解釈が容認
されてしまっていた。
以上のような思考の経緯で、私は今回のライブドア事件については、
軽視すべきではない犯罪との認識をもつにいたった。
当然といえば当然の認識が遅れたことを、恥ずかしくおもう。
ただ同時に・・・重大な事件だからこそ・・・法律論と道徳論をごっちゃにした、
堀江氏に対する感情的なバッシングには、とても抵抗がある。このスタンスには、
前回、記述した時点から変更はない。
なぜなら、それは多様性を拒絶し、
異なる価値観に対する攻撃となってしまいかねないからである。
ホリエモンの登場によって希望を与えられた若者は、旧世代からの嫉妬によって
つぶされたという被害者意識を持つだろうし、逆に旧世代は、自分が世界から切り離されて
いくという孤独感で抑圧される。その結果、不必要な世代の分裂が
起こってしまうなら、それはとても悲しい。
この分裂を避けるためにも、時間軸をながくとって、この事件の意義を
考えてみたい。
数年後に、ライブドア事件をふりかえってみれば、国策捜査の一面も
あることがわかるだろう。その結果、あらかじめ決まったシナリオのなかで、
それを裏付けるような証拠が強引につくられたというマスコミにとっては想定外の
展開が起こってくるかもしれない。こうした国策捜査の目的は、
国の将来のために、過去には黙認されていた行為を犯罪として
立件していくことだ。その結果、時代を急速に変えるきっかけとすることができる。
たとえば大蔵省が解体され、金融庁と財務省に分裂したのも、
「汚職」「収賄」事件が発端だった。鈴木宗雄氏が特捜によって
告発・逮捕された事件のように、つまり国策捜査は
― 法治国家とはいかにあるべきか、という議論からははずれるものの ―
国の方向性を大きく変えるために、非常に有効な手段と
なっているという現実がある。
それでは、今回の事件は、日本の進路がどんな方向に変わるためにおこったのか?
この底流に流れているのは、グローバルスタンダード(一神教)に振れていた、
飲み込まれようとしている日本のナショナリズム(多神教)の抵抗である。
振り子がふたたび、逆向きにゆれだしたということである。
となれば、ライブドア・ショックは、これで終わりであるどころかはじまりであり、
今後、郵政民営化や証券・金融行政のあり方に大きな疑問を投げかけていくことになろう。
そして今年中に、変化の激流から目を逸らさせるために
― 情夫の局部をきりとって持ち歩いた阿部定事件のような ―
無意味で滑稽な事件に、ひとびとはこころを奪われることになるかも知れない。
このような大きな流れに組み込まれてしまった堀江氏は、
国を相手に個人で戦争をしているようなもの。はじめから筋書きは決まっているのだから、
勝ち目はない。本人には、身の覚えがなくとも、
筋書きにそった「事実」が集められ、筋書きにそった証言が「関係者」から得られる。
ときとして社会は ― 行き過ぎてしまった振り子を戻すために、
このように生け贄をささげる。生け贄という言葉を使っているからといって、
堀江氏が潔白であるということではない。堀江氏はわれわれがつくりだした
希望と欲望の象徴であり、われわれが彼を生け贄として差し出したのである。
生け贄をささげた「村」の民は、災難から救われ、神からのご加護を得られる。
それでは、どんなご加護がえられるというのだろう?
堀江氏が犠牲になってくれたおかげで、投機ではなく、成熟した投資家
が生まれる土壌が日本に生まれるのかも知れない。
また拝金主義に偏らない、理念をもった骨太な若手経営者が生まれる
きっかけになるのかも知れない。
こうした根本的な価値観の教育を、これだけ短期間に成し遂げられる
人物はいなかった。堀江氏ほど賢く図太い人間でなければ、
こんな役割はとても果たせなかったとおもう。
国策捜査の対象となって投獄された佐藤優氏の著作「国家の罠 −
外務省のラスプーチンと呼ばれて」から判断すれば、堀江氏は検察の筋書きどおりに
あっさり容疑を認めてしまえば、23日間の拘留で保釈となる。
悪人のイメージはつきまとうものの ― どうせ世間は忘れてしまうのだから ―
彼の年齢・実力をふまえれば復活はたやすいだろう。
ところが「身に覚えがない」という正直な自分の気持ちを貫きとおせば、
長期間にわたる留置所生活がはじまる。
重要なことは、堀江氏が突破口をひらいた日本のアントレプレナーシップ精神を、
あとに続くものが、どのように昇華していくかである。われわれは、これを契機に絶望し、
堀江氏によって鍛えられた冷徹なビジネス観を放り出すこともできる。
逆に、彼の冷徹な合理的思考法を学びつつ、さらにマザーテレサのような
意志と愛情をもって経営にあたることもできるのだ。
私としては、この事件は、マザーテレサのこころをもった有能な経営者が、
今後10年でこの日本におおぜい育つ布石であると解釈している。
彼を反面教師としながらも、チャレンジ精神を持ち続けることが、
生け贄をささげたわれわれアントレプレナーがなすべきことである、と私はおもう。
投稿者 kanda55 : 18:21 | コメント (164) | トラックバック
ニュースの見方2 − 削除
昨日、「ニュースの見方2」というライブドア関連の文章をアップしたのですが、さらなる情報収集の結果、意見の変更がありました。具体的には、証券取引法について詳しく調べてみたところ、私の理解に誤解がありました。継続して掲載することは、誤った情報を流すことにもなるために、削除いたしました。さいど私の考えをまとめまして、後日アップする予定です。なにとぞご了承ください。
投稿者 kanda55 : 14:07
2006年01月20日
ニュースの見方
昨年末から企業の不祥事が相次いでいます。
具体的には「ヒューザーの耐震強度の偽装問題」
「ライブドアの風説の流布問題」です。どちらも関係者から
自殺者がでてしまい、本来、ひとびとの幸福をもたらすことが
目的であるはずのビジネスに関わるものとして、
とてもやりきれない気持ちです。
事実関係については徹底的に究明すべきであり、
その結果を司法の判断にゆだねるのは当たり前のことですから、
このメールでは、別の観点からお話をしたいとおもいます。
また、有能な経営者が、なぜこのような事件を起こしてしまうか
についての心理的な背景は、私が監訳いたしました「成功して不幸になる人々」
(ダイヤモンド社)がございますので、ご関心ある方は
参考にしていただければと存じます。
今回、私が同じ経営者であるみなさんと分かちあいたいことは ―
この事件は、特定の企業が引き起こした
例外的な出来事ではなく、自社にも起こりうるということです。
そして・・・小嶋社長や堀江社長を評価・判断することは
マスコミにおまかせしておいて・・・われわれは、彼らが「時代の歪み」を
象徴的に 体現してくれていると解釈し、反面教師として自社への学びを
引き出したほうがよいとおもうのです。
以上を二つの観点からお話ししたいとおもいます。
今回の事件は、私にとってみれば、時代の変わり目で起こる
典型的なパターンを非常によく示してくれます。具体的には、
「改革」が頓挫した際に、組織は無意識に「生け贄」をつくるということです。
たとえば、70年前におこった2・26事件では、皇道派の大将たちが黒幕
であったといわれておりますが、実際に銃殺されたのは青年将校たち。
黒幕たちは主要な役職から放逐されたものの、罪を問われることはなかった。
この事件の裏にあるパターンをいいますと、改革の失敗を乗り越えて、
次のステージにいくためには「生け贄」の血をみることが
必要になるということです。
「血」という文字を書くと生臭く感じますが、実は、現代の企業のなかでも
同じことが日常茶飯事のように起こっています。たとえば、ある大型企画が
失敗した場合、その責任はトップがとることはなく(謝罪はしますが・・・)、
その企画にもっとも反対した右腕の首がきられるのです。
「首きり」という表現からして、組織存続のための「生け贄」であることがわかります。
つまり組織が方向転換する過程では、犠牲が生じることで、その組織をうごかす
集合無意識にリセットがかかり、次のステージに進めるようになるのです。
このような神話に基づくパターンが、現代でも起こっているのです。今回の事件で、
自殺者がでているというのは、同じような神話が進行しているとかんがえてよいでしょう。
この結果、どのように社会が動くかといえば・・・
それも歴史の教訓から引き出すことができます。2・26事件でいえば、
陸軍のクーデターが失敗したことで、軍国主義が挫折するかとおもえば、
その後、実際におこったのは逆。軍部内の対立がなくなったために、
一気に軍国主義、そして統制経済に突き進みました。
現代に単純におきかえてみれば、キャッシュ万能の資本主義の流れが
さらに加速化し、日本市場がグローバルスタンダードに飲み込まれていく
ということでしょうが、私は、日本では別の方向性を選択したほうが
よいとおもっています。しかし、それはなかなか時間がかかる
ことでしょうから、もう少し時間が必要なようです。
さて、今回の事件に関して分かち合っておきたい二つ目の観点は ―
どんなに善良な経営をしていても、あなたを重罪人にしたてあげてしまうことは
簡単だということです。マスコミは、正義対悪人の立場で物語をつくっていきます。
このパラダイムで出来事を解釈しはじますと、英雄が一夜にして戦犯になります。
価値観が急変する時代において、どのように生きていけばいいかという
ヒントについては、拙著「人生の旋律」に書いたとおりですが、この成功のジレンマを
認識しておくことは、経営者にとってはとても大事なことだとおもいます。
実際問題、私も税務署からあたかも罪人のような扱いされたことがあります。
本を出していると目立つからなのでしょうか・・・
私は昨年、「きっと所得を隠しているはずだ」という脱税しているかのような
扱いで、個人口座を税務署に調べられあげられたのです。
税務調査官によれば、なんと私は「海外に子会社をもっていて、
その株式売却益を隠している」そうなのです!
私は、海外に会社なんてもっていませんから、いったい、なんのこと
だか見当がつきません。むしろ、そんなキャピタルゲインがあったのなら、
「ください!」って言いたいところでした。
結局、それは単なる米国の上場企業に対する株式投資でしかなかったのです
(調べてみたら、投資先は、巨大企業のハネウェルでした。株価はあがりましたが、
円高によるキャピタルロスでした・・・)。このように所得を隠していることを
前提に事実を積み上げてくるのです。
悪人にしたてあげることが目的になると、
普通の取引でもあって、グレーな取引にみなされる。
さらにグレーをクロにされたくなければ、と脅しにはいり、
そのあと、「この辺で手を打て」ということをほのめかしてきます。
この辺の、悪人にされてしまうメカニズムを知るには、「自白の心理学」(浜田寿美男著 岩波新書)という素晴らしい本があります。
無罪のひとが、いかに有罪にされるかと具体的な事例が満載で、
読んでいくうちに自分も犯罪者に簡単にされてしまうことがわかります。
誤解してほしくないのは、私はヒューザーやライブドアに
罪がないといっているわけではありません。シロとクロの境界線があやふやだとはいえ、
悪は悪であり、罪は罪です。
私が強調したいのは ― われわれ経営者は、よほど気をつけていないと、
彼らと同じようにグレーゾーンに踏み出してしまう環境のなかで活動しているということなのです。
つまり、どんなに社会的な使命感をもって、ひとの役に立つことだけを考えて
仕事をしているといっても、それだけは十分ではないのです。そういう善良な経営者でさえ、自分で気づかぬうちに、
犯罪人になってしまう危険性があるのです。そして、気づかぬうちにグレーゾーンに
踏み出しそうになったとき ― 手綱を締められるのは、家族、友人、最終的には
自分しかおりません。
私のブログをお読みいただいている方は、経営者のなかでも
急成長されている方が多いので、今回の事件はたいへん
勉強になるとおもいます。
私も他人事ではなく、自分事としてしっかり受け取りたい
とおもっております。
今年は、この事件のように、いままでの価値観を考え直さざるを得ない
さまざまな出来事が、膿を出すかのようにおこるとおもいます。
お互い気を引き締めて、かかりましょう。
いつも、ありがとう。
投稿者 kanda55 : 17:23 | コメント (20) | トラックバック
2006年01月15日
クーデターがおこるとき
あけまして、おめでとうございます。
いよいよ2006年ですね。私はいつもこの時期、この一年は
これをするぞ!って、結構、鼻息が荒いのですが、今年は
どうも調子が違います。時代がどう動くか予測できないのですね。
2005年というのは、日本は再スタートという感じが
あったのですが、今年は予想外のことが起こるんじゃないかと・・・。
ですから個人的には、とても慎重になっております。
慎重になるのには理由があります。ファンドマネージャーの
大竹愼一先生の教えもあって、私は近代経済史を70年の
サイクルで考えているからです。
今から70年前の、1936年には、一体なにが起こったのか?
そうです、二・二六事件ですね。陸軍将校によるクーデター事件
ですが、歴史上の転機ですね。クーデターは鎮圧されたものの、
その後、軍の発言権が強まり、翌年、日中戦争。そして統制経済
に入ります。
その前からどんなことが起こっているのかといいますと、
現在の状況と非常に似たような状況があります
(カッコ内は+70年の数字です)。
1920年 株価暴落、戦後恐慌がはじまる
(1990年 12月28日 バブル崩壊)
1927年 金融恐慌はじまる
(1997年 11月24日 山一證券破綻)
1935年 17年ぶりに貿易収支が黒字化
(2005年 景気回復宣言)
つまり1920年に戦後恐慌がはじまったのですが、
17年かかって、その恐慌から立ち直りはじめるわけですね。
そのとたん二・二六事件が起こった。
この事件の詳しい経緯については、興味ある方はぜひご自身で
調べていただきたいですが、歴史上の大きな転機になっている
にも関わらず、なぞの多い事件といわれています。
70年前の事件ですから、ぜひ身近で80歳以上の方が
いらっしゃれば、当時の状況を聞いてみてください。
歴史の教科書で受けた印象とはまったく違うストーリーが
語られると思いますよ。
(ある方のお話によれば、1400人の青年将校が立ち上がったとき、
一般大衆は拍手喝采だったらしいですよ・・・
それが、あっという間に幹部が射殺されて、唖然としたそうです。
当時の詳しい状況については、詳細な調査をしたホームページ
があります・・・http://www.tokyo-kurenaidan.com/showa2.htm
このホームページを読むと、クーデターの際の様子がとてもよくわかりますよね。
ちょっと余談ですが、実は、私、いぜん、外交官として赴任していたナイジェリアで、
クーデター未遂を経験しているんですね。ですから、結構、クデーターが
起こるときにの感覚がわかります。だいたいクーデターというのは、
日曜の朝にあるんですね。一番、寝静まったときなんですが・・・。
私、パーティで酔っ払って、午前2時ぐらいに家についたのですが・・・
そのとき、午前4時ぐらいに、ドンドン、パンパンと乾いた音がするんですね。
「へー、なんでこんな時間に花火があるんだろう・・?」
とおもいながら、眠ってしまいました。
そして、朝10時ぐらいまで、寝ていたとおもうんですよ。
電話がなっていたと思うんだけど、日曜の朝だし、とらないよね。
そしたら、こんどは、ドンドンとドアをしつこく叩くやつがいる。
こっちは夢か現実か、わからない。そしたら、そのノック音が、次第に
ドアが叩き割れるんじゃないほど大きくなった。
仕方ないから、なにごとだろうと、ドアをあけてみたら・・・
そこには上司がたっている。そして、開口一番、
「神田、クーデターだ。すぐに大使館へ来い・・」
まぁ背筋が寒くなるというか。
私が、当時おもったのは、目の前にみえている現実なんていうのは、
一瞬にして崩れるということ。それだけ現体制というのは、もろい。
ちなみに、私は当時、文化広報担当官という仕事だったのですが、
このクーデター未遂が起こっているときは、兼務で電信担当官もやっていたのですね。
電信担当とは、要するに、暗号処理を含めた本省との連絡係ですよ。
だから、クーデターに関する連絡・報告は、すべて私を通じて、本国とやっていたわけです。
最近、週刊誌で、中国に赴任していた電信担当官がスパイに接触され、
自殺したという記事がでていますよね。あの仕事です、私がやっていたのは。
このクーデター未遂の話は、さらにつづくんですけど・・・・
まぁ話だすと、日本の危機管理がいかにいいかげんか、という話になって
収集つかなくなるんで、この辺にしておきます・・・。またいつかの機会に・・・)
さて、人間の意識の成長パターンをみると、一定の順番
で成長していくことがわかってきたのですが、実は、
それは国家レベルにもあてはまるのです。そして時代が
シフトするときには、一本調子でシフトするのではなく、
振り子のようにいったりきたりします。そこで、今年は
いろんな意味で、強烈な年になるだろうと・・・。
いいものは突出するし、ダメなものは淘汰される。そこで
土壌の整理がされて、2007年にシフトするだろうと・・・。
単純に歴史は繰り返すわけではないので、重要なことは、
こういう過去からのパターンを踏まえたうえで、
そのパターンが繰り返し起こらないようにすること。
そして、そのパターンが起こっても、それを自分にとって
好機に変えていくことができるだけの心構えをして
おくことですね。
私は個人的には、今年の年間計画はアクセルをがんがんに
年初から踏むのではなく、いつでもブレーキをかけられる
ように、アクセルを踏もうと思っております。
年間計画をつくる際に、柔軟性をもたせておくことは、
より計画を綿密にするためにもよろしいのではないでしょうか?
つまり、ひとつだけのシナリオをつくる代わりに、
バックアッププランも用意しておく。
株の上昇で、世間は浮かれておりますので、経営者は
そういう時代の雰囲気に流されずに、大局をつかみ、
現実をしっかり経営していきましょう。
そうすれば筋肉体質を守りながら、今年もまた飛躍の年になるはずです。
一緒にがんばりましょう!
























