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2005年01月25日
神様の住むところ
昨年の末ごろ、新潟地震の被災者救援をボランティアでしているメンタル・ケアの専門家から突然、知り合いの社長のもとに依頼のメールがきたんだって。
翌年の1月13日。
ボランティアの方から、社長へ報告のメールがあった。
その寄付金は、結局、灯油代には使われなかったという。
ボクも彼に尋ねたんですよ、いったい寄付金はどうなっちゃのかと。そしたら、彼がボランティアの方からの2頁にわたる報告文を見せてくれた。
1.集落の守り神である神社の修復にあてたい。
鳥居がみごとに割れて崩れていて、それを直すのに40万円かかるとのこと。
2.そして残りの10万円で、子供の遊具を神社に設置したい。
私たちは最初理解できませんでした。もっと今の生活のことに役立てて欲しいと正直思いました。
切り詰める生活をせず、あったかく寒い冬を乗り切るために、灯油を定期的に配達しようと仲間と企画して持ちかけましたが、帰ってきた返事は・・・
「目先のものは何もいらないです、これからの形が欲しいのです。そのために神社に使わせて欲しい・・」
「支援してくれる皆さんの気持ちを台無しにしてしまいそうだが、ぜひ神社に使わせて欲しい」と、手を握られ、引っ張られ、頭をさげられ懇願されました。
こうも言われました。
昔も今も神社は集落の公共の場で、年間通して祭りごとがあり豊作や無病息災を祈願してきた。この地震でもおかげさまで命拾いした。御堂は大丈夫だが、鳥居は崩れ、地に倒れたこま犬は恐ろしい顔で下から人を仰ぎ見ている・・。
集落の神社は文化財扱いではないので公的な助成金は出ず、維持管理もすべて集落の人がお金を出し合っています。
1月15日に、神社の前で火を焚き今年の豊作を祈る「塞(さい)の神」というお祭りがあるそうです。他の集落の神社も崩れていますが、修復の目途も立たないままお祭りを行うのはどこかさみしげです。そんな中で、雪が解け春になったらできる神社の修復と遊具の設置を楽しみに火を囲めると、本当にうれしそうに話してくれました。
「目に見える形として神社の鳥居を元通りにすること、そして神社の姿がしっかりすることで、目に見えないものだけれども、集落のみんなのつながりもしっかりと形づく。ひとりでがんばるのは大変で辛いけれど、みんなががんばろうという気持ちがまとまるとこんなに強みになることはない。」
生活物資よりも、みんながまとまることを大切にする。
決して生活物資を軽んじているわけじゃない。生活していくのに精一杯なはずだ。それでも自分たちのことよりも、神様の住む場所をまず直す。
こうした日本人の心の豊かさは、絶滅寸前だが、まだひっそりと生きている。
忘れ去るのは簡単。
ボクは考える。いったい、ビジネスに何ができるのかと。
そして確信する。それをやるのがビジネスなのだと。
投稿者 kanda55 : 18:36 | コメント (66) | トラックバック
2005年01月11日
風景は、心の鏡
あけまして、おめでとうございます。今年もよろしく!
まずは、ご報告。
1月4日から7日まで、長野にスキーにいってきました。
最近のスキーって、すべり方が違うんだね。昔は、両脚をぴたっと合わせて、膝下だけの動きで、くるくる方向を変えるのがかっこいいと思われていた。でも、いまは足を開いて、エッヂへの加重だけで切り替えていく滑り方なんだね。これって、カービングっていうらしい。
カービングをやってみると、これがめちゃ速い。しかも、あまり筋肉に負担がかからん。
だんぜん速くて、疲れない・・・フォトリーディングみたい・・・
う〜ん、パラダイム・シフトだ。
いままで教わったことが、実は身体に対して、負担が一杯かかっていて、しかもスピードが遅いとは・・・。
正直、スキーは「ある程度、滑れるからもういいやー」と思っていたんだけど、新しい技術があることがわかると、がぜん燃えるね。今回はとってもいい指導者(幼稚園の先生)がいてくれたので、ほんとラッキー。
今日、言いたいことはね・・・スキーの話じゃなくて・・・
長野からの帰りにみた景色の話。
7日に会議があったので、朝早く起きて、ゲレンデ近くのホテルから帰京したんだ。新幹線があるから、事務所に着くまで、ドア・トゥ・ドアでも2時間ぐらいしかかからない。これだけの時間で、大自然を満喫できるんだから凄いよね。
タクシーは、午前6時45分には、すでにホテル前に到着。まだ暗いなか、僕はタクシーに乗り込んだ。
運転手さんと、自然に会話がはじまった。
年末の雪は凄かったこと。今年のリンゴは台風で実が小さかったこと。熊がたくさんでたこと。
そんなたわいものない話をしていると、薄っすらと周囲が明るくなってきた。
だんだん日が昇ってくると、ほんとに綺麗な朝焼けでね。
山を下っていくにつれ、遠くの空が朱色に染まっているのが見えるんだ。林のなかの道を入ると、今度は木の枝の隙間が、ピンク色に染まっている。
「なんなの、この美しさは・・・!」
普段、景色に気を払う余裕もない僕さえも息を呑む。
運転手さんも、目を細めながら、静かに言った。
「今日は随分、色づいていますねぇ。」
見とれていると、太陽がさらに登り始める。
すると今度は、朝焼けが朱色から黄金色に変わった。金色に輝く地平線の上には、冬の寒い空気に澄み切った青い空が広がる。
まわりは360度。北アルプスに囲まれている。その山並みを縫うように、白い霧が立ち込める。
あまりにも美しい。
いままで、見たこともないような美しさに言葉もでない。
「運転手を何十年もやっていますが、こんなに美しい光景ははじめてですよ。」
運転手さんが話しかけてきた。僕は、バックミラーに視線を動かした。
60も半ばだろうか。深くくぼんだ眼孔の奥に、優しい目が光っている。
そのとき、全く予想しなかったことが起こっているのに気づいた。僕の目はバックミラーに釘付けになった。
運転手さんが、鼻をすすっている音がする。風邪をひいているのかと、僕は疑った。
彼の目から、涙が溢れているのだった。
目から溢れ出る涙を、彼は親指で、何回も拭っていた。
いったい、何を思って、涙を流しているんだろう?
美しい景色に感動して、涙しているのだろうか?
彼の表情を眺めていたら、彼の心のイメージが感情となって、僕にも伝わってきた。
年齢を重ねるにつれ、傷つき、そして、優しくなる。美しい景色を見られたことではなく、大切な人と一緒に見られなかったことに涙を流すようになる。
彼が、この景色を一緒に見たかった人は誰だったんだろう。
僕は昨年から、頻繁に虹を見るようになった。
それも普通の、虹じゃない。この年齢になるまで、見たことものないような、絵本に出てくるような虹だ。
このところ確実に、地球の風景は美しくなっている、と思う。
風景は、われわれの心の鏡。
心象風景と外象風景といってもいいかも知れない。風景は、僕らの心に応じて、自然に色づきはじめる。
あまりにも美しい風景は、目の前にある。
それにもっと気づきたい。もっと感じたい。もっと伝えたい。
世の中は、悲惨なニュースで溢れている・・
それでも、僕らは美しい世界に住んでいる。
























